連載小説『はっきり言ってよ!?男の言い分、女の言い分?』第5話

青井由_はっきり言ってよ!vol.5_タイトル画

時間はもう20時。私の勤める塾には高校生がどっと押し寄せる時間帯で、康司の仕事が終わってる時間でもある。

私は授業の合間に、スマホでショートメッセージを確認する。私が三時間前に康司へ送ったメッセージには「既読」の文字が。だけど何の返事もない。せめてスタンプの一つでも送ってくれればいいのに……。

こんな薄情な男をずーっと好きでいる私も私だ。大学時代から友達以上恋人未満のビミョーな関係を続けて、もう五年は経つ。さっさと告白するか、もしくはされるかして、何とか「恋人」って肩書きを手に入れたいんだけど……うまくいかない。

「ゆかり先生、美優ちゃんがもう教室に入りましたよ!」

後輩の友香ちゃんの声に頷くと、私はスマホをバッグにしまって更衣室を出た。

「マジでわけわかんない!『をかし』って言葉一つに、どうしてこんなにたくさん意味があるわけ? そっちの方が『おかしい』よ!」

国語、特に古文が苦手だという高校三年生の美優ちゃんは、週に二回、この個別指導塾で私の指導を受けている。だけど私の教え方が悪いのか、それとも美優ちゃんにやる気がないのか、彼女の古文の学力は上昇する気配がない。

文句やグチしか発しない、グロスで光る美優ちゃんの唇。それが10数回目の「わかんない」を吐き出すのを見ながら、私は狭い個室の中にため息を落とした。

「今だってそういう言葉があるでしょ? 美優ちゃんがよく言う『ヤバい』だって、料理のことを言っていたら『おいしい』って意味だし、ファッションのことを言っていたら『カッコいい』とか『ステキ』って意味にならない?」

「でもさー、この『をかし』はマジでわかんないって! 古文って主語が書いてないから、誰がこの『をかし』を言ってるのかもわかんないんだもん!」

「主語は全体の文脈からつかむしかないんだよね」

「文脈?」

「『をかし』が書いてある文だけじゃなく、前後の文章の内容から主語を理解しなきゃいけないの」

「でもさ、どうして主語を書かないわけ? わかりにくいじゃん!」

「古文はね、一度言ったこととか、言わなくでもわかることは省略されることが多いから、前の文と主語が同じような場合は、主語は省略されることが多いんだよ」

この説明、確かこれまでに三、四回は言ったはずなんだけど、美優ちゃんはすっかり忘れているんだろう。仕方ないよね。人にものを教えるってことは、生徒の忘却能力との闘いでもあるんだから。

でもこのときの美優ちゃんは、いつもとは違う瞳の光を、茶色のカラコンの中から放っていた。

「言わなくてもわかる……かぁ。じゃあ、うちの彼氏もそうなのかな?」

「美優ちゃんの彼が、どうかしたの?」

私が問いかけたとたん、美優ちゃんの表情が急に曇り出した。

「最近、ヘンな噂が流れててさ。うちの彼氏が、クラスメイトのレナと浮気してるって」

「う、浮気!?」

高校生が浮気? 高校生なのに? 中高と女子校だった私としては、高校生でそんな男女のゴタゴタが発生するなんて信じられなかった。

でも、それはおそらく本当のことなんだろう。美優ちゃんはその現実を見つめるかのように、じっと前の壁を見ていた。

「私、彼氏を問い詰めたんだよね。そしたら、『レナがいいヤツだから、話とかしてるだけだ』って言うんだけど……先生、どう思う?」

「どうって言われても……」

「『いいヤツ』って言っても、一体何が『いい』のかがわかんないじゃない? 頭がいいヤツなのか、性格がいいヤツなのか、顔がいいヤツなのか、それとも体とか……」

「か、からだぁ!?」

驚きのあまり、私は明け方のカラスみたいな高い声を上げてしまった。だけど美優ちゃんは気にしない様子で、手元の古文の教科書に視線を落とした。

「うちの彼氏は、レナがどんな『いいヤツ』かってことは、古文みたいに『言わなくてもわかるはず』って思ってるのかな? それとも、言いたくないから言わないのかな……」

ハリのある美優ちゃんの肌の上に、つけまつ毛の影が黒い線を描く。いつも明るい彼女にこんな表情をさせる彼って、どんな人なんだろう……と思っていたら、ふと康司の顔が浮かんでしまった。

そういえば、康司もよく言ってたな。私のことを「いいヤツ」だって。

「お前っていいヤツだよな! サイコーにいいヤツだよ! 他の女とは全然違う!」

その言葉を頼りに、私は必死で康司にしがみついている。私は康司にとって特別な女なんだって信じているから。たとえ彼と付き合っていなくても、康司に彼女がいたときもあったけれど、ずーっと彼のそばにいたのは私だったんだもの。

でも、「いいヤツ」って何だろうね? 美優ちゃんにつられて私も考えていると、思わず言葉がぽろりと零れ落ちた。

「『いいヤツ』って、結局は『都合のいいヤツ』ってことだよね」

「……え?」

「美優ちゃんの彼にとっては、そのクラスメイトのレナちゃんって子は都合がいい子なんだよ。話してて楽しいんだろうし、付き合ってるわけでもないから気をつかわなくてもいいし、何なら浮気相手としてもちょうどいいっていうか……」

横に座っている美優ちゃんが、見たこともないような真剣な表情で私の顔を見ている。かと思えば、唇を横に引きのばすようにして、ニーッと笑い始めた。

「ゆかり先生、すごいね」

「何が?」

「うちの彼氏って、まさにそんな感じ。先生、よくわかってるなーって思って」

「それなら、もう一度きちんと彼氏と話してみた方がいいんじゃない? レナちゃんって子のことをどう思ってるのかって」

「うん、そうする! あー、何だかすっきりしたー! ゆかり先生に相談してよかったぁ!」

思いっきり背伸びをしながら晴れやかな表情をする彼女を見て、私は思わず叫んだ。

「美優ちゃん、その気持ちを覚えておいて! そのスカッとした明るい気持ちを!」

「え? な、何? どうしたの?」

「それが『をかし』だから! 『をかし』っていろんな意味がある言葉だけど、すべての意味に共通するのは、心が明るくなるような気持ちなの! 青空の下で、深呼吸したくなるような感じ!」

「……わかった」

本当にわかってくれたのかは疑わしいけど、この日の授業はいつもよりもスムーズに進めることができた。

美優ちゃんの授業を終えて更衣室に戻ると、バッグに入れておいたスマホの画面に、康司からのメッセージが表示されていた。

「今週末、会えない?」

私は「了解!」とサムアップしているウサギのスタンプを急いで返信した。

青井由_はっきり言ってよ!vol.5_挿絵

「来月、ニューヨークへ転勤することになったんだ」

待ち合わせ場所のカフェにやって来た康司は、いきなりそう切り出した。私の驚きの表情も、何か言いたげな様子もガン無視して、ニコニコと笑っている。

「二年後には日本に戻ってくるから、それまでお前は待っていてくれるだろ?」

「え? それってどういう……」

「戻ってきたときに、お前みたいにいつでも会ってくれるヤツがいないと寂しいからさぁ。まぁ、俺はあっちで国際結婚してるかもしれないけどな!」

がはははは、と無神経でガサツな康司の笑い声が響く。「待っていて」という彼の言葉に、一瞬でも結婚とか交際とか期待した自分を引っぱたきたい気分だ。

「なぁ、待っていてくれるよな? お前っていいヤツだもんなぁ」

軽薄な顔と軽薄な声。その中で浮かび上がる「いいヤツ」って言葉。

……あーあ。やっぱり私は、康司にとっての「都合のいいヤツ」でしかなかったんだろうなぁ。悔しさと虚しさと悲しさが、ぐるんぐるんと渦巻いているけれど、私は何とか笑顔を引っ張り出して頷いた。

「うん。待ってる」

バーカ、誰が待っててやるもんか。お前のいない二年間、私はめちゃくちゃ楽しい人生を送ってやるんだ。そして二度とお前とは会わない。絶対に。振り向いてもくれない男の「都合のいいヤツ」でいるのは、もうごめんだもの。

その密かな誓いは、ストローで吸い込んだミントソーダと一緒になって私の体を冷やしていく。何だかスカッとした気分だ。

そう、これこそまさに「をかし」の気分。 「いとをかし」

清少納言と同じ言葉をつぶやいて、私はガラスから差し込む日差しに目を細めた。

第5話 〜終了〜

この記事の著者

青井 由(あおい よし)小説家・フリー編集者・ライター

小説家。 女性の本音とときめきに触れる小説とコラムを執筆している。 モットーは「Write like talking」。 複数のWebサイトで恋愛コラムも執筆中。
男心をつかむコツを探るべく、多くの20~30代男性にリサーチを行っている。

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